「燕」が誕生した昭和5年の日本。「世界恐慌」の影響で不況のまっただ中だったが、鉄道業界は大きな変革の時期を迎えていた。
木造車に代わり鋼鉄製の客車が量産され、牽引(けんいん)する機関車もパワーアップ。列車は新旧交代と高速化が図られた。そんな中登場した「燕」は、神戸と東京を9時間で結び、大阪−東京間を10時間以上かけて運行していた特急「富士」から大幅にスピードアップした。
梅小路蒸気機関車館(京都市)の西村忠章学芸員(30)は「燕は当時の最新鋭のSLが牽引していた。食堂車や展望車もあり人気を集めていたようだ」と話す。
18年10月、戦況により運行休止に。再開したのは終戦から4年余りたった25年1月だった。前年、大阪−東京間で運行を始めた特急「へいわ」を改称する形での復活で、漢字書きから、ひらがな書きの「つばめ」に衣替え。「へいわ」という列車名の評判がよくなく、“人気者”の名前が再び採用されたのだった。
「つばめ」には新しい客車や食堂車が次々と導入され、代表格の特急列車にのぼり詰めた。35年6月には電車化され、ボンネット型が特徴的な先頭車両が話題を集めた。
しかし、39年10月に東海道新幹線が開通すると、活躍の場を山陽線に移し、新大阪−博多間の特急に変更された。さらに、新幹線が岡山まで延びると岡山発着となり、博多まで開通した50年3月には、再び姿を消すことになった。
「戦後のつばめの歩みを見ていると、非常に気の毒で不運だ。西へ西へと追いやられ、ついには消えてしまったんだから」。日本の鉄道事情に詳しいレイルウェイライターの種村直樹さん(74)は、思いを込めて話す。
だが、それから15年以上が経過した平成4年7月、「つばめ」はJR九州の特急電車として復活。16年3月には、九州新幹線の800系が「つばめ」と命名された。
かつて東海道を煙を上げて豪快に走った列車は、紆余(うよ)曲折を経て、今も九州で最先端を行く。種村さんは「いい名前だから山陽でよみがえり、そこで消えても九州で復活した。この名前を大切にしてほしい」と話している。
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